本日は8月6日
今からの80年前広島市では一発の原子爆弾により広島市は焦土と化し
原爆により10万人を超える命が失われました。
戦後80年を経て 戦争や原爆を直接経験した方が亡くなりつつあり
その昭和の記憶も失われつつあります。
わたしはだいたい朝は5時前後に起きて仕事をしたりしたのち
ジョギングをしたりして過ごすのですが
今朝もクリニックで5時前より仕事をしておりました。
ふと、思い付き
広島平和式典の前の光景を見て慰霊碑に手を合わせようと平和公園に向かいました。
6時前でしたが多くの方がおられ、また
機動隊や警察?などが平和公園周囲を取り囲みかなり物々しい印象でした。

慰霊碑のまえにおおくのかたがおられ、手を合わせていかれます。
私も手を合わせ、恒久の平和を祈りました。


広島市職員でしょうか?多くの関係者が整然と並んでいました
広島市民は子供の頃より毎年夏には平和を祈る平和学習が行われています。
広島市以外の方には8/6はあまり馴染みがないのかもしれません。

戦時中、戦争の局面も厳しくなってきたことを多くの国民が知っていたでしょう。
とはいえ、まったくもって日常の生活を送っていた広島市民、8月6日。8:15.
一発の原子爆弾が広島市中心部相生橋上空(いまの島内科のたりでしょうか)で炸裂します。多くの一般市民が、一瞬に人間としての尊厳を失い、もはや人間としての姿をせず皮膚は焼けただれ、爪は剥がれ、髪は燃え、中には生きたまま焼かれ
爆風で硝子が全身に刺さり また親や肉親、子、友人の最期を突然にみせられ まさにこれは生き地獄でなければ何でしょうか。
それも為政者の、権力者の独善的な、そして政治的な判断で。
よりリアルな原爆直後の実際のがみたければ下記をどうぞ(かなりリアルです)。
なぜ、原子爆弾は投下されたのでしょうか。
それは本当に「必要」だったのでしょうか。
無差別攻撃を禁じるハーグ条約が存在していたにもかかわらず、
広島と長崎は、一瞬にして地獄と化しました。
日本本土決戦を避けるためだったのでしょうか
(実際に11月、〝Operation Olympic〟九州本土決戦の仮想攻撃案が残っています)。
戦後に睨みを利かせるためのソ連への威嚇だったのではないでしょうか。
いや、それ以上に、核兵器の「実験」だったのではないのでしょうか。
広島・長崎への原爆投下は、単なる軍事行為ではありません。
人類史の闇に突き立てられた、軍事・政治・人道、
あらゆる矛盾が凝縮した「巨大な問い」です。
わたしたちは、この問いから目をそらしてはなりません。
この日を、祈りとともに振り返ることは、被爆者のためだけではありません。
世界の未来を守るための、責任そのものです。
そしてそれは私たちの祈りのみならず、政治、教育からしか維持できないでしょう。
二度と、核の惨禍を、この空に許してはなりません。
人類が同じ過ちを繰り返さぬように。
合掌。