こんばんは。
デール・カーネギーの名著で
「人を動かす」という書籍があります。
わたしも座右の書としている本の一つで
定期的に見直すようにしておりますが
そのなかに
「人の批判・非難をしない」というものがあります。
先だって論評を記載した
元安芸高田市長、石丸伸二さんと
「文脈は把握しておられますか?」とか「それはゲスの勘繰りというものです」
とか丁々発止のやり取りがありましたが
石丸さんが言うには
「わたしは相手への対応はミラーリングをしています」とのことです。
相手への敬意はもちろんあるのですが
相手が雑な対応をすれば雑な対応を
敵意には敵意を返す、と言っておられます。
私もつい先日もまた、星評価ひとつをつけられることがありました。
私は、当院を選んでわざわざ足を運んでおいでいただいた患者さんには
なるべくご満足いただけるように、
さらには
満足の先の感動を与えられるような
診療・治療内容を提供したいと考えています。
それは、予約システム、立地、接遇、診察内容、治療結果すべてにおいて
満足のいくものを提供したいと考えています。
そのため、接遇において、いかに笑顔が大事で
患者さんと目線を合わせることが大切か、
どのようなことをすれば相手が満足されるか
そのようなことに重きを置いて日々スタッフに朝の朝礼を繰り返しています。
また、診療において、患者さんにとって最善・最新の治療内容を模索するため
分からないことがあればなるべく論文などを調べるようにしていますし
毎週のように各地の勉強会に足を運び様々な知識の習得にいまでも取り組んでいます。
また当院スタッフ間のチームワークをよくするために様々な取り組みをしています。
ところが、たとえば
どれだけ勉強をしても100点ばかり取れないように・・・
当たり前の話ですが
あらゆる人に対して満足のいく評価が得られないのは仕方がない事だと思っています。
とはいえ
先日も厳しい論評とともに星評価最低点をつけられ
残念に思うとともに、
それにより当方に見直す点がないか、あれば修正点を模索するのですが
当方に取り立てて問題が見当たらない場合には
星評価最低点をつけるようなひとは
逆にその相手方に問題があるのではないかと
最近は割り切るようにすることとしました。
(この40代男性は予約なしで来院され、
待たされたことに腹を立ててキャンセルもせずに勝手に帰ってしまった方です)
最低点をつけるということは
その行動に至らせる過程にも問題点があったであろうのは確かですが
星評価ひとつをつけるその行動の原点は
相手の足を引っ張って評価を下げるのが目的であって
その根底には怒りや陰湿な気持ち、
それにより溜飲を下げる目的があるに違いありません。
それによりなんらかのメリットがあるとすれば、
相手の評価を下げることによりしてやったり、と思う気持ちが生じるくらいでしょう。
いずれにしてもそれにより、
自分や相手にプラスの感情や建設的な感情が芽生えることはありません。
まったくもって非建設的な行動であるといわざるを得ません。
いろいろとしらべると、
星評価1だけをつけるひとや
攻撃的な評価をしてくる人への対策はいろいろとあるのですが
自分を攻撃してくる人に対して
相手を説得して納得させたり
懐柔させるような行動の多くは徒労に終わります。
対応として
① のれんに腕押しの対応 ~上手に受け流す~
② 承認欲求を満たしてあげる
③ 少し塩対応を混ぜる ~少しだけ反撃してあげるのが良い~
④ ユーモアで返す これが余裕あっていいですね
というものがあります。いろいろと調べて自分も改めて勉強になりました。
ただし、不法にいくつもそのような行動を繰り返されていると判断すれば
わたくしにも弁護士の知り合いはたくさんいますので
身銭を削ってもプロバイダから発信者情報開示請求を行い削除申請、民事訴訟をおこないます。
ご来院いただいき時間を割いていただいた相手への感謝とお詫びは申し上げます。
とはいえ、当院の評価を下げるような相手には
私はキリストではないので、右の頬を打たれたら左の頬を打たせる
というような慈善に満ちた行動はできません。
自分が逆の立場だったらどう思うか?
私は常にそのように考える習慣を持ちたいと考えています。
以上、本日は愚痴でした!
さて、いまからおしごとしますーではでは・・・